新たな年へ

2012年も終わります。

今年もそこそこ走りました
12月の走行距離は500k越え。大みそかまでには550kくらいには
なるでしょうか。
痩せてやろうそしてカモシカのように走ってやろうと思い
減量の一環として距離を伸ばしましたが、食べる量も比例したため
効果のほどは全く現れていません
そもそも我慢しようとすると、それがストレスになり、”ちょっとぐらい食べても”を
繰り返すという、アホの所業。

まあ体重は減らずとも、走ったことに変わりはなく、
2012年はハーフ1、フル4、トレラン6のレースに参加。
UTMBという海外初レースまで参加するというおまけつき
ロードレースおよび前回参加レースはすべてでPB
(メロンマラソンのファンランは除く。食べた量ならPB
まあフルは3つも走って各1分ずつのPBでしたが

以上のように、今年もあくせくと走ったけれど、
本当のところ、1分・1秒のタイムを削りだすのが目的ではなく
いかに頑張ることができたか、見えない何かが見えるようになったか、
昨日の自分に「おととい来やがれ~っ」と言い切れるくらい強くなれるか。
そういったことの尺度としてタイムや順位があると思っている。

自分自身の心に対して度量衡的な単位があればわかりやすいが、
そういったものもなく、それゆえ省察する機会があっても
真っ暗闇をみている気分なのである。

となると、ボクのようなものにもわかりやすく自分の行動の
結果を測るのは”記録”ということになる。

そういう意味では、そこそこの頑張り度合いを見ることができたかもしれない。
しかししかし、これとて満足できるレベルではなく、まだまだ伸びしろはあると
踏んでいる。でも40半ばなので、それなりに、という意味ではあるが。

さて、来年は、どのような年となろう。
少なくとも、トレランを含めて”走る”ことをもっと楽しもうと思う。
今のところ、ルンルンしながら走ったり、風を感じ、日差しを感じ
景色を愛で、喜びや苦しさ、その瞬間のすべての事象に愛情を感じて
走る、などということは毛の先ほどもない。
走ることは嫌いではない。
だらだらと思考しながら走ってはいるが、ボクを取り巻くいろいろなものを遮断してくれる。
自分自身が少しだけわかった気になる。
それ以外の行為で欲求を満たそうとすると、なにかしらの副産物がついてくる。
欲求を満たしたことによるある種の後ろめたさとか、心理的なもの以外での反応であるとか‥。
”走る”という欲求に対しての副産物はそれほどない。
カラダが疲れるとか、時としてケガをするであるとか、それくらいだろうか。

だから、走ることは好きであるといっても言い過ぎではないと思う。
しかし、自分自身の選択した行為に愛情を感じられないのは
なんというか適切でないような気がする。
トレランを始めて、何人かのランナーさんとお知り合いになったが、
皆、トレランを楽しんでいるようで、いいな~と思う。
一概には言えないだろうが、自覚的に、というか意識すらせず楽しむことを
楽しんでいる。

走ることは好きなのだから、あとはボク自身のベクトルの問題なのだろう。
来年はそこのところを考えていきたい。

見てもよい景色と見る必要のない景色がある。
ボクは見てもよい景色を楽しみながら見るようにしよう。そして走ろう。

大きなけがもせず(でも右手親指付け根と右足中指の骨折あり
一年を通して走り続けてこられたことに感謝しよう。
ありがとうございました。来年も無事に走れますように