苦しかったけど

しまだ大井川マラソンのダメージは思いのほか大きく、
筋肉痛は収まってはきたが、脚の芯に疲労が残っている感覚。

とりわけ左足太ももの裏がひどく、走っているうちに重苦しくなってくる。
ためしにキロ5分ほどで走ってみたら疲労が鈍痛に変わりはじめて
きたのでそうそうにユルユル走に。

ユルユル走りながら、「しまだ大井川マラソン」のことについて考えた。

様々な距離のトレランレースやウルトラマラソンなどを走ってきて、
各レースごと苦しい思いはしてきたのだけれど、
今回ほど苦しい経験をしたことはなかったように思う。

主観的な感覚のみ、かというとそうでもなく、
平均心拍162という数値からも、自分の必死さが感じられる。
測定したことはないので、あくまでも一般的な数式から考えれば‥。
220-年齢=最大心拍数=175
「アドバンスド~」で以前に見たマラソンペース走が最大心拍の
79%~88%だったから心拍数は138~154。
LT走だと82%~91%=心拍数は143~159.
LT値を越えると乳酸が溜まり、長時間の運動は難しいらしいので(うろ覚え

単純式から算出した心拍数からの許容稼働範囲から比して平均心拍162というのは‥
 限界を越えてメチャメチャ頑張った(川内さんみたいな?)
 スポーツ心臓とやらで最大心拍がもうちょっと上
のどちらかということになる。

多分どっちもなのだろう。
継続的に走ってはいるのだから心肺機能は多少なりとも向上しているのだろうし、
頑張ったし。

結果、8か月前のタイムからわずか1:30の短縮にとどまり、
心拍170オーバーの35Kすぎのラップタイムがキロ4:25前後と、
サブ3ペースから10秒も遅れていることに対しては、我ながらどうなの?
という感想もないわけはないのだが

しかし、それでもなお、苦しいと感じ始めてから、負荷を下げず、
ひどく苦しいと感じてからも、さらに負荷を上げ、
ゴール後倒れるかも‥と考えながらも、最後の
1Kのラストスパート。

あの一連の行動は、”追い込んだ”、”頑張った”と言ってもいいような時間だった。
そういう想いというか境地に至った事は、人生でこれが初めてなのではなかったろうか?
実際はゴール後に燃え尽きて倒れる、ということもなかったので、まだ
追い込める余地はあったかもしれないのだけれど、これまで随分と、のほほんと生きてきたので、
あれだけ(少ないけど)能力を発現させた自分に対して驚いたし、
できることなら、あまり再現したくないあの行動に対して、
得難いものを得た瞬間に対する懐かしさのような感情を持って
思い出している。実際、得難いものを得たのかもしれない。そしてそれが本当だとしたら、
ボクはあの瞬間を再び味わいたいと思う。

でも苦しかったからな~
やっぱ嫌かも‥