楽しく走ろう♪

ボクは“走る”行為に“自制”を求めています。
少なくともそういう傾向があります。

「欲しがりません、勝つまでは」みたいな精神状態に
似ているでしょうか?スポーツに求道者としての姿を
重ねるという構造はボク、もしくはそれ以前の世代に
多く見受けられる気がします。

一方で、純粋に走る行為を楽しんでいる人たちもいます。
ボクの周囲にもそういう方たちが大勢います。
こちらは世代も関係なさそうで、年配の方、若い方問わず
存在します。
だから、上記のような考え方は個人的な見解なのかも
しれませんね。

純粋に好意を楽しむ、と実感する体験がなかったように思う
自分としては、彼らの姿がうらやましくもあります。
うらやましいと思うこと自体、他者への過剰意識なのでしょうが。

そもそもそうした過剰意識から脱したいというのも、ボクが
走りはじめたきっかけの一つであるし、無心に走ることによって
行為そのものがボクの望む方向に進むのかなという期待もあります。

“走ること”はボクに少なくない物事に解決を与えてくれる行為となりました。
でも、記録とかやはり他者との比較とか、余計な要素が入り込んで、
“走ること”が単なる手段となってしまっていることもあります。

それはボクが“自制”を強く求めていることと無関係ではないはず。
心拍が上がって、息が切れて、と、まあそれはそれでいいのですが、
「オレ、楽しんでるかな~?」と疑問に思うときもあります。

“走ること”を通じた楽しみ方について、ちょっと考えてみないと、
と思う昨今なのでした。