ケガの深刻度合い

夏季休暇中 各日10~20K

先日走れなくなるほど痛めた鵞足炎は4日ほど休んだら、
どうにか走れるほどに回復した。
走れるといっても5Kほど走ると、再び痛み出してくる。
根が貧乏性なので、夏季休暇が始まり、自由な時間が増えると
何やら走らなければもったいない気がして、ゆるゆるながらも
走っていたら、痛みはさらに増してきた。 どうやら事態は深刻であったか
当たり前の話、ボクは特別な存在なわけではない。
控えめに言ってもごく一般的な存在である。
年齢とか、運動能力からいったら一般的ともいえないかもしれないな。
下降線だから‥ね

鵞足炎についても、皆と同じような症状が現れるし、
対処法にしても、数週間、安静にする以外に方法はないだろう。
(ネットで調べる限り、当面は”安静”だそうだ)

なのに、”もったいない”という衝動で走ってしまう自分の浅薄さに
呆れてしまう。ふ~

そうした折、TVで塩沼亮潤さんの対談番組をみた。
塩沼亮潤さんは千日回峰行を達成した大阿闍梨さん。
どうやら塩沼さんは自分と同い年らしい。
なので、時代背景を同じくするものとして、よりリアリティを感じ、
ことさら「スゲ~」と思う。
番組は色々と考えさせられて面白かったです

そして後日走りながらつらつらと考えてみる。
走りすぎた挙句カラダの一部を痛めてしまった時、
それは「酷使しているぞ」というサインである、というのはよく聞く話。
痛みを凌駕することが強さの証である、とばかりにカラダの声を無視したり、
走りたい、という欲求を抑えられずに走ってしまう、揚句にケガが悪化する、
というのも、ありがちな話(だと思う)。

ただ、そうした行動が自分を高めるため”だけ”の最適な行動かといえば、
それはどうなのだろう?

そこには、少なからず虚栄心も混ざっているとようだ。
走る行為は自分自身のために行ってはいるし、レースなどに参加するのは
自分の持てる力を出し、自分の強さを推し量るための手段であるから、
基本的に、順位や、タイムは気にならない(タイムに関しては自身の
過去と比較するという意味では気にするが)。
でも、まったく気にしていないかといえば、そんなこともなく、
やはり、そこは虚栄心があるゆえの心理だと思う。

そうした、欲求を消し去る、とまではいかなくても、小さくしたい、
自分の世界を追い求めて、それが自分を高めることになれれば、
それがよい。

そうした気持ちを体現するため、そしてその手段として
千日回峰行にあやかって、あえて同じコースを
ひたすら、グルグル走ってみようかな、と考えている。

具体的には、これまでも走っていた農道。
行ったり来たり走っていると、1周10Kほどになる。
千日行うとなると、約3年。こらえ性がないので時間的な制約を
ルールにすると、きっと続かない
だから、千周走ってみようかな。
ボクはかなり平凡な存在であるから、例外も設ける
速く走りたいといった欲求や、走りたいレースもあるから、
そのための練習は合間にはさむ。
お知り合いと走る機会は楽しいから、それもまた別。

だけど、一人で走る分には、決まったコースをグルグル回る。

前述した塩沼亮潤さんはお師匠さんから12年間情熱を持ち続けて
ことを成せば悟ることができる、というようなことを教えられたらしい。
ボクは悟りは開けないが、千周同じところを走っていれば、
なにか得るものがあるのかもしれない。
TV番組に影響されただけだから、得るものはないかもしれない。
それ以前に続けられるかどうかも‥

とにかく鵞足炎を直さなければ、走ることさえおぼつかないので、
ここは他を気にせず安静に努めることにしよう。