苦しいを楽しむ(?_?)

20日 16Kレースペース走改め10Kレースペース走&ゆるゆるJOG10K&超ゆるゆるトレラン7K

痛かった脚が、シンスプと診断されたのを境に痛みが引いて行った
でも、予断は許さないので(というかそれを言い訳に)しばらくゆるゆる走っていた。
とはいえ、痛みが引いたらそんなわけにもいかず、ちょっとレースペースで
走ってみっか~ということになり、20Kは苦しそうなので切りよく?10マイルを走ることに‥
したわけだが、自分のポテンシャルの低さを甘く見ており、10K走るのがやっとであった

つくづくスピードのなさを実感。やっぱ、大変なことを進んでやらないと、向上しないよな~。
でも苦しいの嫌いだしな~。でも、ここで一生懸命やらないと走っている意味ないしな~。
と、ぐるぐる考えながらも、結局ゆるゆるしか走らない自分であった。

自慢じゃないが、これまで「一生懸命」の反対側で生きてきており、その反省というか
自戒も込めて、「走ること」に対しては一生懸命やってみようかな、と思いつつ
走っているわけではあるけれど、「忍耐」ともたっぷり距離を取って生きてきたので、
どうにも努力に対する間合いがわからないし、努めて目をそむける態度を取ってしまう

かといって、楽しみながら頑張っちゃおう~ルン的なスタイルも、
完全には受け入れがたい。”精神は肉体に勝る”、”根性根性ド根性”、”思い込んだら試練の道を~”で育ってきた世代であるから。

これはボクの穿った見方かもしれないが、鏑木さん、横山さんの走りにはどことなく
悲壮感というか、並々ならぬ決意(それこそ死を覚悟したかのような)、などが見えてしまう。
ちなみに彼らとは同い年であるので、「あ~やっぱ同世代」などと
思ってしまう。(違うかもしれないが)

”つらいこと”の方がより頑張っている感を感じやすい。
きっと別のアプローチ方法があると思うし、つらいことを、そのまま受け入れて
自分の中で処理していくのはひどく効率が悪いような気もする。
だから「不器用ですから‥(ケンさん風)」というのも、一面つまらないなとは思う。

それに対してヤマケンさんの楽しそうなこと
楽しんでしかも速いという、なんとも羨ましく輝かしく見えるのだけれど、
世代間の問題か、ボク個人の人間性の問題か、少なくともまだまだああいった感じでは
走れないな~と思うのであった。

苦しいのって楽しくなるのかな?その心境に至るには、自分はあまりに未熟だな~。
というか、精神的にどうとかいう問題にまで発展させる考えそのものが間違っているな~。
「考えるな!感じろ!(ブルースリー談)」ってことだよな~。