復路スタートまで
しばらくして息が整ってから、改めて上を見上げると、
くっきりはっきりとした富士山が見える。
少なくとも天気が良くて何より
汗に濡れたウェアを脱いで、干しておく。
天気が良くてすぐに乾いた
着替えた後は、少し上の茶屋まで登ってみる。
富士山中腹に人だかり。4区と5区の中継地点だ。
その手前のつづら折りを、ランナーが登っているのが見える。
ボクも大変だったけれど、この先のランナーはもっと大変なんだろうな‥
中継点まで戻ってコールを受けた後は、テント下でグダグダする。
風があって気温はそれほどでもないが、とにかく日差しが強い。
そのうち自衛隊を中心としたトップチームが駆け下ってくる。
皆ものすごい勢い
必死な形相で、怖いくらいの気迫が伝わってくる。
あらためて、ボクはこの場所にいていいのか?という疑問がわく。
必死に走ったのは間違いないが、彼らのほどの意気込みがあったわけでは
もちろんない。
彼らの意気込みがどのくらいかは正確にはわからないが、
たぶん、測定不能なくらいの差はあるだろう。
だからといって、今からこの気迫はもちろん、
この気迫に似たような何かで満たすことも無理
ちなみに8区9区の間では足切があり、
正午までにタスキをつなぐことのできないチームは強制スタートとなる。
少ない情報によると、この大会でタスキをつなぐためにはそれなりの実力を
持つチームでないとだめらしい。
「それなりの実力」は、それなりに高く、残念ながらボクたちのチームでは
不可能に近い。
正午すぎ直後にもタスキをつなぐことのできるギリギリの時間帯で、
警察と運営サイドがすったもんだしていたが、12:06に足きり組スタート。
復路スタート
最初は、激下り。
意外と、脚はスピードについて行っており、もつれることはない。
しかし、足の裏が熱い‥。
摩擦熱のせいだが、このまま進んでも大丈夫?
そのうちGPSウォッチに1Kのラップタイムが表示される。
2:59
きた、ついに来た。幻の2分台~
激下りとはいえ、40代後半、走歴5年くらいの平凡男性が2分台を目にする時が来るとは‥。
しみじみと感傷に浸るが、足の裏の熱はいよいよ限界に近づく‥。
熱い ⇒ やけど ⇒ 水ぶくれ ⇒ 皮はがれる
気迫云々の話はしたが、そんな目にはあいたくないし、そもそも、このペースが
続くわけがない。なので少しだけ、ペースを抑えて、足の運びに気を付ける。
ちょうど、斜度も緩やかになってきたので、足裏の安全は確保された。
一斉スタートだったので、前後にランナーが多い。
登りの体たらくとは異なり、下りではそこそこスピードに乗ることができ、
登りで抜かれた分くらいの人数は抜くことができた。
下りでは重力に従って走れば、疲労もなくスイスイ走れると思っていたが、
真剣に走れば、そんなことはなく、やっぱり息は切れる。
しかし、キロ3分10~20秒くらいで走るから、到着も早い。
なんとか、タスキを渡して、任務完了。
終了後
自衛隊のトラックでゴール地点である競技場へ。
後日結果を知ることになるのだが、まあ個人的にはひどかった
たしか、サブ3というのはランナー全体の3%しかいない、ということらしいが、
そのような気配はみじんもない区間順位
フルマラソンとは状況が異なるし‥などと取り繕えばいろいろあるが、
何が問題かと言えば、普段、何も目指さない走りしかしていない姿勢が、
はっきり結果として出てしまったということが問題である。
まあ、それはそれでもよいのだが、ボク自身、あまり気分がよくないとうことが、
やはり問題であって、ある程度解決しなければならないのかな、と思う。
日常的に走るようになる以前は、フルマラソン完走はバカげた行為だと思っていた。
42Kでそう思うのだから、ウルトラなど、思考停止の域だった。
ところが、慣れというのはすごいもので、現在では42K程度なら週末になれば
普通に走るし、東京タワーまで走ったり、山中を160K走るようにもなった。
もはや、それらは刺激ですらなくなった。
あれだけ嫌だった駅伝だけれど、忸怩たる思いを次に晴らしたい、という
衝動がボクの中にある。
そして、富士登山駅伝のような異様に熱い空気を体感してしまうと、
富士宮駅伝のつらさも、ぬるく感じてしまうから不思議だ。
現実はぬるいどころか、ひどく苦労させられたのだが‥。
まあ、実際にリベンジするかどうかは別として、がんばろうという気にはなった。
あとは、これをいつまで覚えていられるかが課題だ。
なにせ忘却力が半端ない故