読書

17日 裏山トレラン 14K

トレランといっても、登り⇒歩き、下り&平地⇒走ったり歩いたり(ほぼ歩き)
といった感じ。
先月のフルで右足付け根に疲労から起因する痛みが残った。
普通は放っておけば直るのだが、直り切る前に「IZU TRAIL」に参加した
ため、痛みがそのまま残ってしまった状態。

IZU~でも最後の10K余りの下りは、イヤ~な感じを抱えながら降りて行った
そんなわけで、週末は焼津にあるタイ焼き屋さんに向かうべく、ハイキングモードのトレランと
なったのでした。

その後、週末に購入した「アルプスを越えろ!激走100マイル」を読む。
読みやすく、大まかには聞いたことのある話もあったので、1日で読み終えた。
ケガのこともすさまじいが、多くの挫折がきっかけとなり今日の走りを体現されている
ことに対し、(僭越ながら)共感。
少し前から読み始めているスコットジュレクの「EAT&RUN」においても、著者の
走ることにささげる情熱の起因となったのが挫折であったことなどもあり、
こちらも(やはり僭越ながら)共感しつつ読み進めている。
個人的には「EAT&RUN」のほうが読み応えがある。
ボクとしても走る理由と問われれば「好きだから」などという
一面だけでは説明できず、やはり現在の自分に対するやるせない不平不満なども
大きな要因となっている。やるせないのは不平不満を感じているのが自分が
自分に対してということであり、そしてそれは、ボクが思うところの普通の人ならば
容易(かどうかはわからないけれど)に解決してしまうことができるのに、自分は
出来ないというところがやるせなく、そうした鬱屈した感情を走ることによって
発散しているというところもある。

それなりに懸命に発散することに注力していると、副次的な効果として、見えなかったり
理解できなかったりしていたことが、わかった気になったりもするみたい。あくまでも
”気がする”だけだけれど‥

EAT&RUN」にも似たようなことがのっていた気がするが、ロングレースは自分を知り、
自分を変える、あるいは生まれ変わるといった願望を満たす、とまでは行かないまでも
そのきっかけを与えてくれる。ロングレースを走るのには、それなりにトレーニングも
必要であろうし、レース自体も長く苦しいものであるのだけれど、人生の長さに比べたら
相対的なレースのそれはとても短い。そう考えれば、自分を変えるということの手段としては
ロングレースを走るということは効率的な行為なのかなと思う。

まあ、あとは程度の問題だ。
鏑木さんにしても、スコット・ジュレク氏にしても、その情熱の注力度がすごすぎる
アキレス腱にくるみ大のしこり?レース途中で靭帯切って、そのまま走って優勝?
う~こわい・おそろしい
苦しみと痛みに格別弱く、チョ~面倒くさがりのボクとしてはまねできませ~ん。

ちなみにスコットジュレク氏はヴィーガン(完全菜食主義者⇒肉はおろか乳製品すらも食べない)
らしいが、プリン、ケーキ、お菓子全般etcが好きなボクとしては、これも絶対に無理だと思った。