断捨離について~さわり編

本格的に走り始める前に断捨離をしたことがある。
何かにつけ右往左往していたころで、結局どこへも行けずじまいの袋小路。
そんな時、やましたひでこさんの断捨離に関する本を読んだ。

おぼれかけてつかんだワラの一本だったと思うのだけれど、これが中々自分にしっくり来た。
ろくろく考えなしに右往左往しているのだったら、一旦、何もかもクリアにしてみてから考えてみたらいいかもよ、的なことが書いてあったと思う。
あくまでボクの解釈ですが。
モノを減らすと、なぜか精神にもその影響が及ぼされるらしく、曰く「息を吸うためには、まず息を吐き出さないと」ということらしい。
効果のほどはともかく、あらゆることがゴチャっとした自分には腑に落ちることが多く、衣服やCD、書籍などなどいろいろなものを処分してみた。感覚的には8割くらいのモノを処分したように思う。

見た目にはわずかな変化だったけれど、気分はいくらかスッキリした。
息もいくらかは吐き出せて、吸い込む余地も生まれたかもしれない。結果、しばらくして走り始めることになった。
断捨離が走り始める直接的なきっかけになったかは分からないけれど、きっかけの一つにはなったと思う。

ただ根本的なところで「自分の物欲が減っていない」という問題はいまだに残っていたりする。
とくにランニング・トレラン関係においてその傾向は出ていて、”傾向”というより”病状”ではないのか?と自問したりもする。

某有名トレラン店?店主さんからは、トレラン用ザックを買い漁る自分に対して「背中は一つ」というありがたい格言までいただいた。
得意の言い訳をさせていただければ、「理想のザック(とか他のアイテム)に出会うための心の旅」である(エヘッ)。
理想のザックって?というとロクに考えてもいないのだが(買いたいだけだから?)。

結局、”色々な物事に右往左往”は、ロクに考えなしにアタフタする自分に問題があると、最近自覚することが多くなった。
まぁ、今さら感がハンパないが、のちのち得心のいくことが出てきたっていいじゃないか、と開き直ることにする。

トレラン界にも”ミニマル”という考え方や”ミニマリスト”と称される人がいたりする。

この上半身裸で走っているお兄さん。アントン・クルピチカさんというアメリカトレラン界で有名なお兄さんです。
上半身裸、シューズは余分なソールは自らカッターでそぎ落とすという荒業を繰り出し、たまに半そでチェックシャツでも走っちゃったりする、メチャ速いお兄さんです。格好いいです(見る人にもよるだろうけど)。
裸で走る気はしませんが‥。たぶん、日本の街中でやったら職質レベル。

まぁ、何が言いたいかというと、物事のシンプルさを突き詰めて、達観とした生きざまはカッコいいな、とあこがれているわけ。
「理想のウンヌン」を考えるのもいいけれど、そもそも理想の~なんてなくて、あるもので頑張ればいーじゃん、という考えでもいいのかな~と思ったりして、できればそうした方向に進みたいと願う今日この頃なのです。