走り方について

“練習”という言葉はあまり使いたくない。
普段走っているのは、走りたいという欲求と、もはや習慣となり、止めるのを考えられないから走っているだけ。
何かしらの目標があって、その手段として走っているわけではない。
例えば、“レースに出るため”、“レースでいい結果を残すため”‥etc
ところが、やはりレースに何度か参加したりすると、「キャーキャー♪言われたい」や「速~い♪とか言われたい」などと、不純な動機から(いやもちろん「一生懸命やる」という目的の側面からすれば、一生懸命の数値化としてタイムを求めるということもあるんだけど‥)、目標がいつしか目的となってしまう。

ここ最近、刺激的に速い同年代の方々と知り合う機会が増えて、その存在を気にするあまり、普段の走り方にやたらと効率性を入れこもうとしてきていた。
高強度インターバルとか、筋トレとか。ラン以外にも糖質制限とか睡眠とかストレッチとか。

そして、ここ最近、どーも調子がすぐれない。カラダが悪いという意味ではなくて、精神的に満たされない。

やることやっているけれどスッキリしない‥?

これとは別に、最近、「自分らしさ」について考える機会があり、“走ること”が臓器の一つのように不可分となってしまった今、「そーいや、最初の頃はムチャクチャ走っていればそれで良かったよなぁ。あの頃の方がむしろ満足感あった」ということに思い至った。

走りすぎるとどーとか、故障がどーとか、疲労がどーとか、睡眠不足がどーとか、考えすぎたなぁ
星の数ほどいるボクより優秀なランナーさんが、調べたり身を持って体験したりした知見を疑うわけではさらさらない。
だけど、自分が気持ちよくなきゃ意味ないな、と考えた。

まぁ、ボクの稚拙な能力が、膨大な情報量に追いつけなくなった、というところが実情で‥。

速いとかタイムとか順位とか疲労とか痛いとか(痛いのはイヤ)関係あるかいっ!
とは言っても、まったり走るのも性に合わない!
ロードレースは苦しいから苦手、かといってトレイルも登るの苦手、山行くの面倒だし(言っちゃった)。
も~、オレは走りたいように走るんじゃい!
というわけで、今後しばらく考えなしに走ることにします。
「考えるな、感じろ」(燃えよドラゴンより)
「馬鹿になれ とことん馬鹿になれ ~以下略~」(アントニオ猪木