コロナウィルスについて思ったこと

新型コロナウィルスの状況が日毎に深刻度を増しているようだ。
各種報道を見る限りでは、国内感染者の数は加速度的に増加しているし、ボクの住む静岡県でも徐々に増加している。
志村けんさんも亡くなってしまった。
ボクは「8時だよ全員集合」を観ていた世代だったので、これにはショックを受けた。
東村山音頭」とか「ひげダンス」とか面白かったなぁ~。
そしてようやく、新型コロナウィルスが対岸の火事ではなく、身近な災厄として認識することが出来た。
専門的知識もないし、新型コロナウィルスと死に対する想像力も足りないし、今のところ健康体である、という自意識もあった。
せいぜいひどいカゼくらいじゃない?と軽く考えていた、とても凡庸な自分を今は反省しています。

全世界を席巻している新型コロナウィルス。
今回の件がいつ収まるかはボクなどにはさっぱり分からないが、このような大きな災厄によってこれまで信じていた多くの価値観が未来永劫続くものではない、ということは理解できた。

外国では今回の件を戦時下であると形容しているし、東北地方の方などは震災時に同様の感覚を覚えたことだろう。

これまで普通に仕事をし、普通に走って、普通に生活して、普通に生きていた環境が、何とも普通ではなかったわけだ。この災厄が治まったとしても、大きくユリ動いた価値観というものは元には戻らず、目に見える部分もそうでない部分も変容していくことだろう。

ただ、どのような事象も捉えかた次第で個々人の認識は大きく異なってくる。
不安に感じる。苦しみや死が間近に感じられる。経済的に立ち行かない人々が増加する。最悪の事態を想定して準備をしておくことはよいことだと思うけれど、ずっと不安な状況を抱え続けることもないと思う。そして今のところ、幸いなことにそれら最悪の事態が自分の身に降りかかっているわけではない。世界を包む価値観の変化には巻き込まれるだろうけど。
※もちろん、罹患された方、亡くなられた方は気の毒だとは思います。しかし、それが自分自身でない以上、完全に自分に置き換えてみることは出来ない。少なくともボクは。
それよりも、自分に何ができるか?これからどうするか?を考えた方が良い。

あと、様々な媒体で新型コロナウィルスについての情報が飛び回っている。というか、ほぼそれ。
しばらくは、自分も色々な情報を追いかけていたが、そのうち疲れてしまった。
疲れてしまったのは情報量の多さであり、そのいくつかの情報は、内容が確かか不確かかわからないようなものであったり、恣意的に操作されたと思われるものであったりすること。
そして何よりも、報道や施策に対して批判的な言葉であったり、差別的な言動であったり、買い占めなどの、感情的にマイナスな情報が多すぎることに対して疲れてしまった。
気が付くと自分自身も、一見不用意な行動をして罹患した人なんかを「不注意だな~・迷惑だな~」などと思ってしまっている。メチャクチャ軽く考えていた自分を差し置いて‥。
他人や行政の行為に関しては、自分の領域の及ばないところであり、止むにやまれぬ事情があったかもしれないし、今できることを精いっぱい行っていることと思う。
ボク自身はマスクもしていないような(手に入らない)非専門家だし、国民に対して有効な対策を打ち出せるわけでもない(そもそも正解など知らない)。
国や地方行政の政策に批判的な発言をする人に、「じゃあ、オマエできるのか?」とつい思ってしまうマイナスの感情にも嫌気がさしている。
「人は自分の行動は理性的に考えて、他人の行動を感情的に考える」、というのを何かで読んだことがある。

取り敢えず、情報を限定し、今のところ有効らしくて自分にできる「手洗いする、3密避ける、なるべく早くマスク買う」を行うことにしよう。

そして、出来るだけ平穏に暮らそう。
ボクの普段走っている農道は10kmに1~2人出会う程度だから、濃厚接触ではないだろう。
だから、これまでと変わらず走る。大会等は軒並み中止だけれど、走り始めてから約12年間は大会にも出ず一人で走っていたから、まぁ問題ないか。
早くこの災厄が収まって、色々なところに出かけて走ったり呑みに行ったり出来るといい。