気づきの種

「赤穂ウルトラマラソン」が終わって2週間経ったけれど、走るとまだ脚にはりがある。
レース後、ここまでダメージを引きずった記憶がない。年を重ねたことによる回復の遅れだろうか?
そのせいではないだろうけれど、朝ラン中の農道で転んだりする。ヒジ、腰、手のひらなどに擦り傷多数‥。
他ランナーはこんなに頻繁に転ぶものなの?
小学生の頃も生傷は作っていたが、当時と今では治りも遅くなった、気分だって落ち込む。
バンソコウを変えるとき、心なしか傷口が匂う。死臭かも?
ムリな体制、下手な受け身になるから擦り傷以外のところも痛いし。
そもそも、ハッキリとした障害物につまずいたわけでは無いのにナゼ転ぶ、オレ?

ただ、外傷はアクティビティに動く以上、ある程度納得できる。もちろん出来ることなら絶対に避けたい。
だけど、ごくごく平凡な壮年者として病気にも気をつけなければならない。

そういうわけで、来月内視鏡手術をすることになった。
元気に走り回ることが出来ているから、何となく自分は完全健康体だと思っていたけれど、そうでもなかったみたい。
まぁ、走り回っている量も健康を害するレベルだと思われるし、それ以外の生活でも特別健康的なことをしているわけでもないから、それなりに病気になるリスクはある。
それでも「自分は大丈夫」って思いがち。当然、検査結果に異常が見つかった時はそれなりにショックだった。
ボクは普段、「走れる限りは走っていたい」と思っていたし、一部の人には公言もしていたのだけれど、“限りは”というのは“無限”という意味も含まれていたわけで、その日が訪れる、ということに関しては深く考えていなかった。
今回期せずして“限りは”というのは、有限で、割と早くその日は訪れるかもしれない、ということが実感できた。
詳細は手術をしてみないと分からないけれど、幸い発見も早かったことから内視鏡手術でひとまず完治の可能性が高い。“早い、速い”って、やっぱイイネ。

今回のことがきっかけでモノの見方が変わる、価値観が変わる(実際少しずつ変わっていると思う)、だけど健康も取り戻して、これまでと変わらず走り回ることが出来る。そうなれば結果オーライ。
自分の場合、「しんどいこと嫌い」「現実逃避」的な性質の持ち主ゆえ、今回のことは一種のショック療法として貴重な体験だったのかな?もしかして何かの啓示だったのかも。仙人に一歩近づいたか?